名古屋市中区栄で遊ぼう!

中区には歴史深い由緒ある神社もあります。

中区で神社

繁華街の中にも神社が

買い物客や水商売の女性に入れ込む男性が歩き回っている中区の栄ですが、この辺りには神社のような落ち着けるスポットがないわけではありません。 中区の錦には朝日神社が鎮座しており、昔から信心深い方の信仰を集めています。 賑やかな町にはお寺や神社は似つかわしくないかもしれませんが、朝日神社は名古屋市が今のように発展を遂げる前からあったので、むしろ神社の周囲が栄えてきたと 言ったほうが正しいかもしれません。

朝日神社の歴史

いつからここに朝日神社があったのか正確なことを知る人は少なくなく、物知り博士に訊ねれば「徳川家康の時代だよ」と答えてくれるでしょう。 それまでは伊勢神宮の神領地、清洲城下の朝日郷にあったのですが、城下町碁盤割りの守護神として徳川家康が名古屋城の築城の時にこの地へ移築遷座したのです。 わりと知られてることなので物知り博士でなくとも、参拝者に適当に声を掛けて訊ねてみても正確な情報を手に入れることはできるかもしれません。 なにしろ守護神ですから昔から多くの信仰を集めており、必然的にいつからあるのか、どうしてここにあるのかといったことも興味の対象になるので、 知識人でなくても由来や歴史を知る機会が多いのでしょう。 現在の集客力はいまひとつかもしれませんがそれでも昭和時代の頭頃は、名古屋市内では熱田神宮の次に参拝客の多い神社だったようです。 周囲が繁華街として発展しすぎたことが、現在の参拝者が減った理由かもしれません。 中区の現状を知っている人なら、自家用車に乗って朝日神社にお参りに行くことがちょっと大変なことは分かってもらえるでしょう。 100%の確率で渋滞が発生していますし、途中から「歩いた方が早いのでは」とずっと先まで続いている車の行列を見てうんざりするのです。 地下鉄で向かうにしても人ごみに揉まれる事になりそうですし、とにかく大勢の人が集まる場所ということで敬遠されてしまっている気がします。 初詣のようにイベント時ならそれも我慢できますが、1年中365日が混雑しているので自然と足が遠のいてしまうのでしょう。 昔も広小路は人が集まる場所でしたが、今とはかなり様子は違いました。 露天や夕涼みにやってくる者が多く、またこの付近で商いをする者も朝日神社に顔を出しており、買い物をしてお食事をしてそのまま帰る、 参拝はしない人は今ほどたくさんはいなかったようです。 ショッピング目当てでもここまで来たら参拝するのが常識であり、そうした考え方をする方が減って今のようになったのでしょう。 城下町の守護神として招かれた朝日神社は、明治時代には他の社を合併したりもしてより強大な力を得てきました。 近くにあった子守神社がそれで、これは神佛判然令の発令によって行われた移築が理由になっています。 また朝日神社の名称ですが、最初から皆がそう呼んでいたのでもなく、名乗っていたのではないという話もあります。 広小路の神明宮、あるいは広小路の朝日神明宮という呼称が浸透していましたが、よりストレートでシンプルに、朝日神社と呼ばれるように変わったとのことです。 今の若い人は広小路の神明宮と言ってもわからないかもしれませんが、昔からこの辺りで暮らしているお年寄りならそちらの呼称でも通用するでしょう。 若者の街との印象が強い名古屋市の中区ですが、決して年配者がいないわけではなく神社のような建造物もまだまだ残っています。 大須ほどではありませんがお年寄り向けのショップもありますし、老人を排除しようなんて動きは一切ありません。 セントラルパークを散歩されるお年寄りの姿も見かけますし、ベンチに腰掛ける老婆もお似合いの街なのです。

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